「魚楽園」という名前は、文久2(1862)年に江戸時代の漢学者 村上佛山氏が、中国 の詩経の大雅篇の一文にある「魚楽しければ人また楽し、人楽しければ魚また楽し」 から引用して命名したといわれています。
これは当時の京都が応仁の乱で荒廃しており、戦乱から逃れてきた雪舟が、戦争を 憂い、平和を願う心境を表したもので、平和への願いを込めた理想郷として策庭さ れました。
雪舟築庭の魚楽園より引用
今年は秋ごろから雨が多く、訪れたときはもうすでに大分散っていましたが、紅葉を一目見ようと訪れる人たちは沢山いました。
写真でお伝えできればと思います。
魚楽園の入り口です。入園料金を払って入ります。
庭園への期待が高まります。
入ってすぐの場所からの一枚。ひっきりなしに訪れた人の出入りがあります。
団体のツアーバスで訪れている人も多いようです。
先ほどの写真のそばにある庭園の一部です。なんとも言えない風上を感じますね。
このような庭園がいくつかあり、こちらが入り口に一番近いのでスマホやカメラで撮影している人を多く見かけました。
紅葉を接写しての一枚。
都会の喧騒から離れた場所にあるおかげか、紅葉の色がきれいです。
藤江家屋敷の2階からの一枚。
枯れた木と紅葉のアンバランスさがなんとも言えない「秋」を感じさせます。
奥の院より一枚。ここには神社があったようです。現在は石碑だけが残っています。
奥の院から、藤江家屋敷へ戻る道すがらのワンシーン。美しい紅葉は屋敷にある庭園のものです。
屋敷に入るとお茶が振舞われているので、正座で庭園を楽しんでいました。
純和風の建築物には久しぶりなので懐かしいと思いました。
こちらが庭園です。名勝庭園とされるだけの風格があります。
雪舟が築庭したと言われています。きちんと今まで管理されているので当時とそこまでの違いはないでしょう。
この庭園たちを築庭した当時は、応仁の乱で当時の都が荒れ果て、雪舟は福岡の豪族藤江氏を頼ってこの魚楽園を作ったとのことです。
福岡を含む九州には約7年ほど滞在してこの魚楽園のほかにいくつかの築庭を残しています。この魚楽園がもっとも有名です。
戦乱を避けてこの地に来たとの事ですので、この魚楽園には、「平和」や「人生」とうのメッセージが込められていると言われます。
皆さん訪れて見てはいかがでしょうか?