寿永四年(1185年)3月24日、平氏は本州の西端、長門壇之浦の合戦で源氏に敗れ、その短い栄華の夢を終えました。
わずか8歳の安徳幼帝が祖母二位の尼に抱かれ『波の底にも都の候ふぞ』の言葉とともに、波間におかくれになりました。
「関の先帝 小倉の祇園 雨が降らなきゃ金が降る」
といわれるこの祭は、入水された安徳幼帝をとむらうため、その命日に女臈に身を落した平家の官女達が参拝したことに始まったものです。
2017年しものせき海峡まつり特集(関門・九州TV)
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