博多区の十日恵比須神社で行われる十日恵比須大祭は、商売繁盛や五穀豊穣を祈願する大切な祭りです。
神社入口から境内にかけては、たくさんの露店が出店し、福笹や打ち出の小槌などの縁起物が売られます。8日の初恵比須からは吉例福引が行われ、9日の宵恵比須午後3時ごろには、芸者さんたちが徒歩詣りを行います。
4日間にわたって多くの参拝客が訪れる賑やかな祭りです。皆さんも、この祭りで商売繁盛や幸運を願ってみませんか?博多の観光にもおすすめです。
アクセス情報
開催日時
例年1月8日~1月11日
開催場所
十日恵比須神社(福岡市博多区東公園7-1)
アクセス
JR鹿児島本線「吉塚駅」下車、徒歩約5分
市営地下鉄「千代県庁口駅」下車、徒歩約5分
料金
催事により初穂料が異なる
十日恵比須神社の歴史について
十日恵比須神社は、福岡市博多区にある神社です。創建は天正19年(1591年)とされ、香椎宮の分家である武内家が商売繁盛や家運隆盛を祈願して建てたと伝えられています。当時は、崇福寺境内にあったとされ、のちに千代の松原に移転しました。
神社の創建には、香椎宮と筥崎宮への参詣途中に恵比須大神の尊像を拾い上げたことがきっかけであったとされています。毎年正月十日には恵比須神社の祭りが行われ、露店が出店し、福笹や打ち出の小槌などが販売されます。芸者さんたちの徒歩詣りもあり、参拝客で賑わいます。十日恵比須神社は、商売繁盛や五穀豊穣を祈願する神社として、多くの人々に愛されています。
十日恵比須神社 正月大祭の主な行事
開運御座:1月9日~10日
文禄元年(1592年)から現在に至るまで、開運御座が行われています。開運御座とは新春の縁起を祝う儀式で、一般の方も申込みが可能です。式次第は以下の通りです。
- 受付で申し込みをして、白丁を着用します。
- 拝殿にてお祓いを受け、神恩感謝の念を捧げます。
- 1年中の開運、商売繁昌、家内安全、無病息災の御加護を仰ぐ御祈願が執り行われます。
- 開運殿大広間の神前に着席し、係り世話人の挨拶に続き、白木の折敷にお茶菓子、お抹茶をいただきます。
- 直会膳で縁起を祝う蛤吸物に一口ナス、折敷には御神饌、昆布するめ、御神酒飴等が授与され、神人同食の神事を行います。
- 神社古来からの名物の福引が行われ、一同和やかな雰囲気につつまれます。
- 最後に、御参席の皆様方の御幸運と御一家の繁栄を祈り、威勢良くえびす手一本の打ち込みが行われ、福笹を手にして御座が終了します。
開運御座は、多くの知名士や崇敬者にも参加いただいています。是非、皆さまも参加して、幸せな一年を迎えられるように御祈願ください。
福引き:1月8日~11日
福引きは、その年の運試しにぴったりの催し物です。福引きを引くと、境内に「大当たりー!」という世話人の声が響きます。福笹と一緒に縁起物が授かるので、張子の福起こし、福寄せ、干支、金蔵、そろばんなど、縁起の良いものばかりが揃います。皆様に必ず福が訪れますように、神社が願っています。
徒歩参り:1月9日
商業貿易の町として栄える博多の伝統行事です。正月9日の宵えびすの午後に行われ、博多券番のきれいどころ(芸妓)総勢で行われます。島田のビンに稲穂のカンザシ、紋付正装、裾ひき姿でかち詣りののぼりを先頭に、博多那能津会の三味、笛、太鼓で十日えびすの唄をはやしながら、東公園入口より行列、徒歩にて神社に参拝します。この行事では、商売繁盛、開運を祈願します。以前は宝恵駕参拝が行われていましたが、交通事情と手不足のため、昭和44年以降はかち詣りに変わりました。現在も多くの人たちに愛され、博多の伝統を守り続けています。
えびす銭
古くは家屋の新築に際し、金銀の箔を押したり新鋳の銭を撒いたりする習慣がありました。江戸時代には将軍の誕生や元服などの祝い事のために黄金や銀の銭が鋳造され、神社や仏閣で福種銭として用いられるようになりました。恵比須神社でも古くから種銭を貸し出しており、商売の元金として借りたお金を倍返しすることで繁昌を願う風習がありました。当神社では、昔の通貨1文銭を授与しています。財布の御守として参拝者に愛されていますが、1年間経過したら返却するようにお願いします。
年中祈願
年中祈願を承っています。特に正月大祭の際には、お名前を墨書した祈願章を発行し、1年間毎朝祈願致します。お祈りをご希望の方は、申込書を本殿前に納めてください。私たちは、お客様の幸せを願い、心を込めて祈り続けます。
露店
約300軒の露店が出店され、露店商にとっては大きな商機となります。暖かいタコ焼きやタイ焼きなどが人気ですが、さまざまな品物が販売されています。また、かつては帳面屋なども出店していたそうです。さらに、この露店でさげものの店も見かけられます。
松原水
「松原水」とは、福岡市東公園の西口北側にある井戸跡の名前です。博多地区では井戸水の水質が悪く、昔はこの「松原水」が命の水として親しまれていました。現在でも、当神社の手水舎ではこの地の井戸水を使用しています。この井戸跡は説明板などとともに保存され、多くの人々が訪れています。大正12年に曲渕ダムと平尾浄水場が完成してからも、多くの人々が「松原水」に親しんでいます。