山口県下関市にひっそりと佇む了円寺。一見、普通の寺院ですが、一歩足を踏み入れると、そこには幕末の動乱期に志士たちが駆け抜けた歴史が刻まれています。今回は、了円寺に秘められた物語を深く掘り下げてご紹介します。

了円寺の歴史を辿る

  • 草創期: 1683年(天和3年)に創建された浄土真宗本願寺派の寺院です。創建当初は別の場所にありましたが、後に現在地に移転しました。
  • 激動の幕末: 了円寺が歴史の舞台に躍り出たのは、幕末の動乱期。1864年(元治元年)、高杉晋作は長州藩の俗論派を倒すため、功山寺で挙兵します。その後、下関に進軍した高杉晋作らは、萩藩新地会所を襲撃し、了円寺を拠点に激しい攻防を繰り広げました。
  • 討奸檄の誕生: 了円寺に立て籠もる中、高杉晋作の側近であった伊藤博文(当時、伊藤俊輔)は、俗論派を討つ大義名分を明らかにするため、「討奸檄」を起草しました。この檄文は、長州藩のみならず、全国の志士たちに大きな影響を与え、明治維新への流れを加速させる力となりました。
  • 明治維新後: 動乱の時代を乗り越え、了円寺は地域の人々の心の拠り所として、静かにその歴史を刻み続けています。

了円寺の見どころを深く味わう

  1. 本堂の柱に刻まれた刀傷: 高杉晋作ら隊士たちが刀でつけた傷跡が、今も生々しく残っています。柱に触れると、当時の緊迫した空気、そして志士たちの熱い想いが伝わってくるようです。
  2. 風格漂う山門: 長府藩主の居館であった勝山御殿から移築されたと伝えられる山門。質素ながらも風格があり、当時の権力の大きさを偲ばせます。
  3. 伊藤博文ゆかりの地: 日本の初代内閣総理大臣となる伊藤博文が若き日に「討奸檄」を起草した場所。歴史の転換点となったこの場所で、彼の志に思いを馳せてみましょう。

了円寺を訪れるあなたへ

  • 拝観の際はマナーを守って: 了円寺は、現在も地域の人々の信仰を集める寺院です。拝観の際は、静かにマナーを守って見学しましょう。
  • 写真撮影について: 本堂内は撮影禁止の場合があります。事前に確認することをおすすめします。
  • アクセス: JR下関駅よりバスで約7分、「了円寺」バス停下車、徒歩約3分。

了円寺で歴史の息吹を感じよう

了円寺は、派手さはありませんが、日本の歴史を語る上で重要な役割を果たした場所です。下関を訪れた際には、ぜひ足を運んで、幕末の志士たちの熱い想いに触れてみてください。

By kyushutv

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