日本の歴史が大きく動いた瞬間、その空気感をそのままに。

赤間神宮のすぐ隣、ふぐ料理の公許第一号店として名高い割烹旅館「春帆楼(しゅんぱんろう)」の敷地内に、一見すると小さく控えめな洋館が建っています。

それが「日清講和記念館」。明治28年(1895年)、日清戦争の講和会議(下関条約)が行われた歴史的舞台です。

伊藤博文と李鴻章。アジアの巨頭二人が対峙し、日本の運命を決定づけた「あの部屋」が、時を止めたかのように再現されています。


息詰まる緊張感。「講和会議室」の完全再現

この記念館の最大の見どころは、館内中央にある**「講和会議室」の再現展示**です。

昭和12年(1937年)に建設されたこの館には、実際に会議で使用された調度品や遺墨(いぼく)が大切に保管・展示されています。

1. 豪華な椅子とテーブルの配置

ガラス越しに見る会議室は、当時の緊張感を今に伝えています。

  • 日本側全権: 伊藤博文、陸奥宗光
  • 清国側全権: 李鴻章(りこうしょう)

彼らが座った椅子、テーブル、インク壺や蒔絵の施された調度品などが、当時の配置のまま並べられています。フランス製のストーブやシャンデリアなど、明治期の華やかな外交の舞台裏も垣間見ることができます。

2. 李鴻章の苦難と「李鴻章道」

会議の期間中、清国の李鴻章は宿舎(引接寺)からの帰途、凶漢に狙撃され重傷を負うという事件が起きました。

この事件により会議は一時中断。日本側は国際的な批判を避けるため、休戦に応じるなど譲歩を余儀なくされました。

現在、記念館の裏手から引接寺へと続く細い小道は、狙撃を恐れた李鴻章が通ったとされることから**「李鴻章道(りこうしょうみち)」**と呼ばれ、散策路として整備されています。

Editor’s Note: 「春帆楼」とふぐ

会場となった「春帆楼」は、初代総理大臣・伊藤博文が愛した料亭です。ふぐ食が禁止されていた当時、ここのふぐの味に感動した伊藤が解禁令を出したことで知られています。記念館の見学(無料)と合わせて、春帆楼でちょっと贅沢なランチ…というのも粋なプランです。


基本情報 (Access & Info)

項目詳細
施設名日清講和記念館
住所山口県下関市阿弥陀寺町4-3(春帆楼敷地内)
開館時間9:00~17:00
休館日年中無休
入館料無料
アクセスJR「下関駅」からバス約9分「赤間神宮前」下車、徒歩2分
駐車場あり(春帆楼・赤間神宮の駐車場を利用)
お問い合わせ083-231-4697(下関市教育委員会文化財保護課)

よくある質問 (FAQ)

Q. 入館料はかかりますか?

いいえ、無料で見学できます。誰でも自由に入館できるので、赤間神宮や唐戸市場への観光ついでに気軽に立ち寄れます。

Q. 所要時間はどれくらいですか?

館内はそれほど広くありません。再現された会議室と、周囲のパネル展示を見るだけなら15分〜20分程度で回れます。歴史好きの方なら30分ほど見ておくと良いでしょう。

Q. 場所はどこにありますか?

「赤間神宮」に向かって左手、老舗料亭「春帆楼(しゅんぱんろう)」の敷地内にあります。看板が出ていますので、春帆楼の玄関横からスロープを上がっていくと到着します。


【まとめ】

教科書で習った「下関条約」が、目の前の現実として迫ってくる場所。

煌びやかな調度品の中に漂う、明治の外交官たちの執念と緊張感。

赤間神宮を参拝した後は、すぐ隣のこの記念館で、日本の近代史に触れてみてください。

By kyushutv

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