
江戸情緒あふれる長府の町には、さらに古い「奈良時代」の記憶が眠っています。
乃木神社や忌宮神社のすぐ近く、静かな住宅街の一角にひっそりと立つ石碑。それが「長門国分寺跡(ながとこくぶんじあと)」です。
聖武天皇の願いにより、国家の安泰を祈って全国に建てられた国分寺。
かつてこの地に存在した大寺院の面影と、数奇な運命を辿った歴史のレイヤー(地層)を紐解いてみましょう。
1. 聖武天皇の祈りと「幻の寺域」
天平13年(741年)、聖武天皇は相次ぐ飢饉や疫病から国を守るため、全国60余国に「国分寺」を建立するよう詔(みことのり)を出しました。
長門国(現在の山口県西部)において、その白羽の矢が立ったのが、都としての機能を持っていたこの長府の地でした。
- 地形に合わせたコンパクトな設計:発掘調査や地形の分析から、長門国分寺の境内は「方一町(約109m四方)」程度だったと推定されています。これは他国の国分寺に比べるとやや小ぶり。山と海に挟まれた長府特有の地形に合わせて設計されたと考えられています。
- 石碑が語る場所:現在、現地には「長門国分寺跡」と刻まれた石碑が立っています。かつてはこの石碑から北側一帯にかけて、金堂や塔が並ぶ厳かな境内が広がっていました。
2. 栄枯盛衰、そして移転
中世には大内氏や毛利氏、江戸時代には長府毛利藩の庇護を受け、長府の精神的支柱として存続しましたが、時代の流れと共に寺勢は徐々に衰退していきました。
そして明治23年(1890年)、寺は再興を期して下関市中心部に近い「南部町(なべちょう)」の大隆寺跡へと移転。
こうして、創建の地である長府には「跡地」としての記憶だけが残されることになったのです。
長府博物館で見る「巨大な礎石」
「建物がないとイメージが湧かない…」という方は、ぜひ近くにある**下関市立歴史博物館(長府博物館)へ足を運んでみてください。
博物館の前庭には、この国分寺跡から出土した「礎石(そせき)」**が一基、移設・展示されています。
巨大な柱を支えていた石を見ることで、奈良時代にこの地にそびえ立っていた大伽藍のスケールを肌で感じることができます。
Editor’s Note: 現在の「長門国分寺」
明治時代に移転した現在の「長門国分寺」は、唐戸市場や旧秋田商会ビルに近い下関市南部町にあります。こちらは現在も高野山真言宗の寺院として存続しています。長府にあるのはあくまで「創建時の跡地」ですので、混同しないようご注意ください。
基本情報 (Access & Info)
| 項目 | 詳細 |
| 史跡名 | 長門国分寺跡 |
| 住所 | 山口県下関市長府宮の内町7-8 |
| 見学 | 自由(石碑のみ) |
| アクセス | JR「下関駅」からバス約23分、「城下町長府」下車、徒歩約8分 |
| 関連施設 | 下関市立歴史博物館(出土した礎石を展示) |
| お問い合わせ | 083-246-1120(長府観光会館) |
よくある質問 (FAQ)
Q. 現地には建物が残っていますか?
いいえ、現在は住宅地の一角に石碑と案内板があるのみで、奈良時代の建物は残っていません。
Q. どこに行けば出土品が見られますか?
この場所から徒歩圏内にある「下関市立歴史博物館(長府博物館)」の前庭に、建物の土台となった「礎石」が展示されています。
Q. 近くに駐車場はありますか?
専用駐車場はありません。長府観光会館や下関市立美術館周辺の駐車場(無料・有料あり)を利用し、城下町散策の一環として徒歩で訪れるのがおすすめです。
【まとめ】
侍の屋敷が並ぶ長府の町並みの中に、ふと現れる「奈良時代」の痕跡。
石碑の前に立ち、1300年前の風景を想像してから博物館で礎石を見る。そんな**「歴史探偵」のような散策**も、長府ならではの楽しみ方です。