福岡市早良区の静かな住宅街の一角に、13世紀の激戦の記憶を留める場所があります。
それが、1274年(文永11年)に起きた元寇(文永の役)の古戦場の一つ、「祖原元寇古戦場跡」です。
元寇とは?
13世紀、ユーラシア大陸を席巻したモンゴル帝国(元)は、日本にも服属を要求してきました。これを拒否した日本に対し、元は二度にわたり大軍を送り込みます。これが元寇です。
一度目の侵略である文永の役では、元・高麗の連合軍が博多湾に襲来。日本軍は、武士や僧侶、地元の民衆までが一致団結して、これを迎え撃ちました。
祖原の地で繰り広げられた激戦
博多湾に上陸した元・高麗連合軍は、いくつかの部隊に分かれて進軍しました。その中で、祖原の地を目指したのは、高麗軍を主力とする部隊でした。
当時、祖原には、少弐景資(しょうに かげすけ)率いる日本軍が布陣していました。景資は、鎌倉幕府の有力御家人であり、武勇に優れた武将として知られていました。
景資は、数で勝る敵軍に対し、地の利を活かした戦術で対抗しました。祖原山を拠点とし、山裾に布陣した元・高麗連合軍を、弓矢や投石で攻撃しました。
戦いは、一進一退の攻防が続きました。日本軍は、勇敢に戦い、敵軍に大きな損害を与えました。しかし、多勢に無勢、次第に劣勢に追い込まれていきます。
その時、景資は、起死回生の策に出ます。夜襲です。夜陰に紛れて敵陣に奇襲を仕掛け、混乱に陥れたのです。
この夜襲が功を奏し、元・高麗連合軍は戦意を喪失し、撤退を開始しました。祖原の戦いは、日本軍の勝利に終わったのです。
祖原元寇古戦場跡の見どころ
- 祖原公園: 古戦場跡地に整備された公園。園内には、元寇に関する説明板や、戦没者を弔うための慰霊碑が建立されています。
- 祖原山: 標高33mの小高い山。山頂からは、当時の戦場を一望することができます。
- 紅葉八幡宮: 古戦場跡の近くに鎮座する神社。元寇の際に、戦勝祈願が行われたと伝えられています。
祖原元寇古戦場跡の基本情報
項目 | 内容 |
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所在地 | 福岡市早良区昭代 |
アクセス | * 福岡市地下鉄空港線「西新駅」下車、徒歩約12分 |
まとめ
祖原元寇古戦場跡は、750年以上前の激戦の記憶を今に伝える、貴重な歴史遺産です。少弐景資率いる日本軍が、祖国を守るために勇敢に戦った地です。
今日、この地は、静かな住宅街となっています。しかし、目を閉じれば、当時の戦いの様子が目に浮かぶようです。
ぜひ、祖原元寇古戦場跡を訪れて、歴史の息吹を感じてみてください。