太宰府防衛の要!古代のロマンあふれる水城跡を探索しよう!
福岡県太宰府市に位置する水城跡は、7世紀に築かれた古代の防衛施設です。全長約1.2kmに及ぶ巨大な土塁と堀からなり、当時の東アジア情勢における緊張と、日本の防衛技術の高さを物語る貴重な史跡です。国の特別史跡に指定されており、2015年には「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産にも登録されました。
この記事では、水城跡の歴史や見どころ、アクセス情報などを詳しく解説し、あなたの水城跡観光をサポートします。
水城跡の歴史
白村江の戦い
7世紀、朝鮮半島では、唐と新羅の連合軍が百済を滅ぼし、高句麗へと迫っていました。日本は、友好国であった百済を救援するために出兵しますが、663年、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗を喫します。
防衛体制の強化
この敗戦は、日本に大きな衝撃を与えました。唐・新羅の侵攻が現実味を帯び、九州の防衛拠点である大宰府を守る必要性が高まったのです。
そこで、大和朝廷は、664年、大宰府防衛のために、以下の3つの施設を築造しました。
- 水城: 福岡平野の西側、博多湾からの侵攻を防ぐための巨大な土塁と堀
- 大野城: 水城の南東に位置する山城
- 基肄城: 水城の南西に位置する山城
水城の構造
水城は、高さ約10m、基底部の幅約80m、全長約1.2kmにも及ぶ巨大な土塁と、その外側に幅約60m、深さ約4mの堀を設け、水を貯めていました。土塁は、版築工法という、土を突き固めて積み重ねる方法で築かれ、その堅固な構造は、当時の土木技術の高さを示しています。
その後の水城
水城は、その後も大宰府防衛の重要な拠点として機能し続けました。しかし、平安時代以降、東アジア情勢が安定するとともに、その役割は次第に低下していきました。
世界遺産への登録
水城跡は、長らくその存在が忘れ去られていましたが、19世紀後半に再発見され、その歴史的価値が見直されるようになりました。そして、2015年、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として、世界遺産に登録されました。
水城跡が世界遺産に登録されたのは、以下の点が評価されたためです。
- 東アジアにおける国際関係を示す重要な遺跡であること
- 当時の土木技術の高さを示す優れた建造物であること
- 日本の歴史を理解する上で欠かせない遺跡であること
水城跡の見どころ
巨大な土塁を体感!
水城跡の最大の見どころは、何と言っても 巨大な土塁 です。1300年以上もの時を経た今でも、その雄大な姿は見る者を圧倒します。特に、土塁の断面を見ることができる 土塁断面ひろば では、当時の築造技術の高さを実感することができます。
東門跡・西門跡
水城には、東門と西門の2つの門がありました。現在も、東門跡には門の礎石や木樋の取水口跡が残っています。西門跡周辺は 水城ゆめ広場 として整備されており、水城跡全体を見渡すことができます。
水城館
水城跡に隣接する 水城館 では、水城の歴史や構造、発掘調査の成果などを詳しく知ることができます。模型や映像を使った展示は、子どもから大人まで楽しめます。
よくある質問
- Q. 水城はいつ、何のために作られたのですか?
- A. 664年、唐・新羅の侵攻に備えて、大宰府を守るために築かれました。
- Q. 水城の長さはどれくらいですか?
- A. 約1.2kmです。
- Q. 水城跡はどのようにして行くことができますか?
- A. 西鉄「都府楼前駅」から徒歩約20分、または市営バスまほろば号「水城跡」から徒歩約2分です。
- Q. 水城跡はなぜ世界遺産に登録されたのですか?
- A. 東アジアにおける国際関係や、当時の土木技術の高さを示す重要な遺跡であることが評価されたためです。
基本情報
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | 水城跡 |
住所 | 〒818-0100 福岡県太宰府市国分二丁目17-10 |
電話番号 | 092-921-2121(太宰府市役所 産業振興課) |
アクセス | 西鉄「都府楼前駅」から徒歩約20分<br>市営バスまほろば号「水城跡」から徒歩約2分 |
駐車場 | あり |
入場料 | 無料 |
開館時間 | 9:00~16:30 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始 |
まとめ
水城跡は、古代日本の防衛技術の高さを示す貴重な史跡です。巨大な土塁を目の当たりにすれば、1300年以上前の歴史ロマンを感じることができるでしょう。太宰府観光の際には、ぜひ訪れてみてください。