大牟田市の観光なら外せない!明治日本の産業革命遺産にも登録された三池炭鉱宮原坑の歴史と見どころを詳しく紹介します。
明治時代の日本の近代化を支えた石炭産業。その中心地として栄えた福岡県大牟田市には、今も当時の面影を残す炭鉱関連の遺産が数多く残されています。中でも、三池炭鉱宮原坑は、その歴史的価値と見ごたえから、多くの観光客が訪れる人気のスポットです。
この記事では、宮原坑の歴史や見どころ、アクセス情報などを詳しく解説し、あなたの観光をサポートします。
三池炭鉱宮原坑とは?
三池炭鉱宮原坑は、福岡県大牟田市に位置する、明治時代に開坑された炭鉱の跡地です。2つの竪坑からなり、最盛期には年間50万トンを超える石炭を産出しました。明治日本の産業革命遺産として、世界遺産にも登録されています。
宮原坑の歴史
明治政府と三池炭鉱
明治維新後、日本は近代化を急速に進めるために、石炭資源の確保が急務となりました。その中で、三池炭鉱は、豊富な埋蔵量と質の高い石炭を産出することで、日本の産業発展に大きく貢献しました。明治政府は、三池炭鉱を官営事業として運営し、積極的に投資を行いました。
囚人労働の導入
しかし、当時の炭鉱労働は過酷で、労働力不足が深刻化していました。そこで、明治政府は、刑務所の囚人を炭鉱労働に充てる「囚人労働」を導入しました。囚人たちは、劣悪な環境下で強制的に労働させられ、多くの人々が命を落としました。宮原坑でも、多くの囚人が働かされており、その歴史は忘れてはならないものです。
宮原坑の建設と三池炭鉱の近代化
三池炭鉱では、採掘が深部化していくにつれて、坑内排水の効率が悪化し、新たな対策が必要となりました。そこで、明治28年(1895年)に、排水能力の高い新竪坑として宮原坑の建設が開始されました。
宮原坑の建設と並行して、三池炭鉱では、最新鋭の機械設備の導入が進められました。イギリス製の高性能ポンプや蒸気巻揚機、電動扇風機などが次々と導入され、採炭効率は飛躍的に向上しました。宮原坑は、これらの最新技術を結集した、近代的な炭鉱の象徴でした。
閉山とその後
宮原坑は、三池炭鉱の中心的存在として、日本の近代化を支え続けました。しかし、昭和恐慌の影響や、新たな炭鉱の開発などにより、昭和6年(1931年)に閉山となりました。
閉山後、宮原坑の跡地は、長い間放置されていましたが、その歴史的価値が見直され、保存・整備が進められました。そして、2015年には、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として、世界遺産に登録されました。
宮原坑の見どころ
宮原坑では、当時の炭鉱の様子を伝える様々な遺構を見学することができます。
- 竪坑櫓: 坑口にそびえ立つシンボル的な存在。当時の炭鉱の規模を物語っています。
- 巻揚機室: 坑内と地上を結ぶ巻揚機が設置されていた建物。巨大な機械や当時の作業の様子を想像することができます。
- ボイラー室: 坑内機械の動力源となる蒸気を発生させていたボイラーが設置されていた建物。レンガ造りの重厚な雰囲気が印象的です。
- ベルトコンベヤー: 採掘された石炭を運搬するためのベルトコンベヤー。当時の最新技術を駆使した設備です。
これらの遺構に加え、宮原坑では、当時の炭鉱労働者の暮らしや、囚人労働の歴史についても学ぶことができます。
基本情報
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | 三池炭鉱宮原坑 |
住所 | 福岡県大牟田市宮原町1丁目86-3 |
電話番号 | 0944-41-2515(大牟田市世界遺産・文化財室) |
FAX番号 | 0944-41-2552(大牟田市世界遺産・文化財室) |
見学料 | 無料 |
公開時間 | 午前9時30分~午後5時(最終入場午後4時30分) |
休館日 | 毎週月曜日 |
アクセス | 西鉄バスで大牟田駅から勝立方面へ「早鐘眼鏡橋」下車、徒歩10分<br>大牟田駅から車で約12分 |
駐車場 | あり |
まとめ
三池炭鉱宮原坑は、日本の近代化を支えた石炭産業の歴史を伝える貴重な遺産です。当時の炭鉱の規模や技術、労働者の暮らしなどを肌で感じることができます。ぜひ、大牟田観光の際には訪れてみてください。