写真提供:福岡市

近代日本美術史に燦然と輝く、夭折の天才画家・青木繁。

わずか28年の生涯で、日本美術史に残る傑作を数多く生み出した彼の、幼少時代を過ごした家が「青木繁旧居」として、久留米市荘島町に保存されています。

青木繁の原点に触れる

青木繁は、明治12年(1879年)に久留米市に生まれ、17歳で上京するまで、この家で家族と暮らしていました。

当時の面影を残す旧居は、木造2階建て、延床面積110.6平方メートル。質素ながらも風格のある佇まいです。

  • 居間: 家族団らんの場であった居間。当時の生活を偲ばせる調度品が置かれています。
  • 書斎: 繁二郎が読書や勉強に励んだ書斎。画家の卵として、夢を育んだ場所です。
  • 2階: 繁二郎が幼少期を過ごした部屋。窓からは、彼が眺めていたであろう当時の風景を想像することができます。

青木繁の軌跡:光と影

青木繁は、幼い頃から絵を描くことに熱中し、その才能は周囲を驚かせるほどでした。

  • 久留米での青春: 久留米中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)に進学しますが、画業への思い断ちがたく中退。久留米で唯一の洋画家であった森三美に師事し、本格的に絵画を学び始めます。この頃、同郷の画家、坂本繁二郎とも交流を深めました。
  • 東京美術学校時代: 1899年、16歳で単身上京。画塾「不同舎」で小山正太郎に師事した後、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科選科に入学。黒田清輝に指導を受け、頭角を現します。
  • 「海の幸」の誕生: 1904年、21歳の時に描いた「海の幸」は、第8回白馬会展に出品され、大きな反響を呼びました。力強い筆致と独自の色彩感覚で、海の幸を捧げ持つ若者たちの姿を描き、日本の洋画史に残る傑作と称賛されます。
  • 苦難の道: 「海の幸」で成功を収めた青木繁でしたが、その後の人生は苦難の連続でした。貧困、病魔、そして愛する人との別れ。
    • 福田たねとの出会い: 房総半島への旅行中に、恋人でモデルの福田たねと出会います。たねは「海の幸」のモデルの一人であり、青木繁の創作活動に大きな影響を与えました。しかし、二人の関係は長くは続かず、悲劇的な結末を迎えます。
    • 放浪と創作: 失意の中、青木繁は九州や四国を放浪。各地で多くの作品を制作しますが、生活は困窮を極め、病状も悪化していきます。
  • 夭折: 1911年、28歳という若さで、結核のため福岡の病院で亡くなりました。

青木繁の作品

  • 海の幸: 青木繁の代表作。海の幸を捧げ持つ若者たちの姿を描いた、力強く神秘的な作品です。
  • わだつみのいろこの宮: 日本神話を題材とした作品。幻想的な世界観が魅力です。
  • 自画像: 力強い眼差しが印象的な自画像。画家の内面を垣間見ることができます。

基本情報

項目内容
住所〒830-0042 福岡県久留米市荘島町431
電話番号0942-39-3575
開館時間10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
入館料無料
アクセスJR・西鉄「久留米駅」から西鉄バス、「荘島」バス停から徒歩7分。
または「本町」バス停から徒歩約8分

まとめ

青木繁旧居は、夭折の天才画家、青木繁の原点に触れることができる場所です。

彼の作品世界と、光と影に満ちた人生に思いを馳せながら、静かな時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

By kyushutv

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