Michael Jackson
Bad
ポップの頂点を再定義した画期的アルバム (1987)
はじめに:『スリラー』を超えて

1987年8月31日、マイケル・ジャクソンは音楽史に燦然と輝くアルバム『Bad』をリリースしました。空前の成功を収めた前作『スリラー』から5年、世界中が注目するプレッシャーの中、彼は自身の芸術性をさらに深化させ、ポップミュージックの新たな地平を切り開きました。『Bad』は単なるヒット作に留まらず、マイケルがソングライター、共同プロデューサーとしてクリエイティブを完全に掌握し、成熟したアーティストとしての地位を確立した記念碑的作品です。このインフォグラフィックでは、その制作背景、音楽的革新、記録的なヒット、そして後世への計り知れない影響を紐解きます。
記録破りの金字塔
『Bad』は世界25カ国以上でアルバムチャート1位を獲得し、1987年と1988年の2年連続で全世界のベストセラーアルバムとなりました。
アルバムコンセプトとテーマ
新たなイメージ:「タフ」と「ストリートワイズ」
『スリラー』までのファンタジックなイメージから一転、『Bad』ではレザーとバックルを多用した、よりタフでエッジの効いたストリートワイズなイメージを打ち出しました。これはメディアによる過剰報道や世間の好奇の目に対する自己主張の表れであり、自身のキャリアを自ら決定するという強い意志を示しています。アルバムタイトル『Bad』はストリートスラングで「クール」「イケてる」を意味し、彼の新たなペルソナを象徴しています。
多岐にわたるリリックテーマ
- メディア批判とパラノイア: 「Leave Me Alone」
- 人種間の調和と自己変革: 「Man in the Mirror」
- ロマンスと人間関係: 「The Way You Make Me Feel」「I Just Can’t Stop Loving You」「Dirty Diana」
- アイデンティティとストリートの現実: 「Bad」「Smooth Criminal」
- 世界平和と団結: 「Another Part of Me」
これらのテーマは、マイケルが巨大な名声と向き合う中で深めた、よりパーソナルで社会的な視点を反映しています。
全曲解説
1. Bad
作詞作曲: マイケル・ジャクソン | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
アルバムタイトル曲。新たな「タフ」なイメージを象徴するファンキーで攻撃的なナンバー。ストリートの現実と自己のアイデンティティをテーマに、全米No.1を獲得。マーティン・スコセッシ監督による18分にも及ぶショートフィルムは、その物語性とダンスで大きな話題となりました。
YouTubeで聴く2. The Way You Make Me Feel
作詞作曲: マイケル・ジャクソン | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
軽快なシャッフルリズムが心地よいポップなR&Bナンバー。ある女性に完全に魅了された感情の高ぶりをストレートに歌い上げ、全米No.1を獲得。ショートフィルムでは、街中で女性を追いかけダンスで魅了するマイケルの姿が印象的です。
YouTubeで聴く3. Speed Demon
作詞作曲: マイケル・ジャクソン | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
スピード違反で捕まることへのフラストレーションをテーマにした、ファンキーでアップテンポな楽曲。車のエンジン音やバイクの疾走音といった効果音が巧みに使用され、疾走感を演出。映画『ムーンウォーカー』ではクレイメーションによるショートフィルムも制作されました。
YouTubeで聴く4. Liberian Girl
作詞作曲: マイケル・ジャクソン | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
エキゾチックで官能的な雰囲気を持つミッドテンポのラブソング。アフリカの女性への愛を歌っており、スワヒリ語の囁きも挿入されています。ショートフィルムには多くの著名人がカメオ出演し話題となりました。
YouTubeで聴く5. Just Good Friends (with Stevie Wonder)
作詞作曲: テリー・ブリテン, グラハム・ライル | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
スティーヴィー・ワンダーとのデュエット曲。ある女性を巡って二人がコミカルに張り合う内容の、軽快でグルーヴィーなナンバー。二人のレジェンドの掛け合いが楽しめます。
YouTubeで聴く6. Another Part of Me
作詞作曲: マイケル・ジャクソン | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
人類の団結と世界平和への希望を歌った、力強くダンサブルな楽曲。ディズニーの3D映画『キャプテンEO』で使用されたことでも知られています。ファンキーなベースラインとホーンセクションが印象的。
YouTubeで聴く7. Man in the Mirror
作詞作曲: サイーダ・ギャレット, グレン・バラード | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
ゴスペル調の壮大なポップアンセム。「世界を変えたいなら、まず鏡の中の自分から変わろう」という自己変革の力強いメッセージが込められています。アンドレ・クラウチ・クワイアの参加も特徴的。全米No.1を獲得し、アルバムの感情的な核となる曲と評されました。
YouTubeで聴く8. I Just Can’t Stop Loving You (with Siedah Garrett)
作詞作曲: マイケル・ジャクソン | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
アルバムからの先行シングル。サイーダ・ギャレットとの甘美なデュエットバラード。揺るぎない愛の力と献身を歌い上げ、全米No.1を獲得。オリジナルCD盤にはマイケルによるスポークン・ワードのイントロが収録されています。
YouTubeで聴く9. Dirty Diana
作詞作曲: マイケル・ジャクソン | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
ハードロック色の濃い楽曲で、ビリー・アイドルのギタリスト、スティーヴ・スティーヴンスの鋭いギターソロが炸裂。執拗なグルーピーとの危険な関係を描き、名声に伴う誘惑と危険性を暗示。この曲でアルバムから5曲連続の全米No.1という歴史的快挙を達成しました。
YouTubeで聴く10. Smooth Criminal
作詞作曲: マイケル・ジャクソン | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
緊迫感あふれるアップテンポなファンク/ダンスナンバー。映画『ムーンウォーカー』の中核をなし、白いスーツとフェドーラ帽姿のマイケルが披露する「ゼロ・グラヴィティ」ダンスは世界に衝撃を与えました。歌詞は襲われた女性「アニー」を巡るミステリアスな物語。全米7位を記録。
YouTubeで聴く11. Leave Me Alone (CD Bonus Track)
作詞作曲: マイケル・ジャクソン | プロデュース: クインシー・ジョーンズ, マイケル・ジャクソン
CD版のボーナストラック。過熱するメディア報道やタブロイド紙によるプライバシー侵害への怒りを表明したファンクソング。クレイアニメと実写を組み合わせた独創的なショートフィルムはグラミー賞を受賞しました。「放っておいてくれ」という直接的なメッセージが強烈です。
YouTubeで聴くサウンドプロダクション:革新と進化
デジタルとアナログの融合
『Bad』のサウンドは前作『スリラー』から大きく進化し、よりハードで攻撃的、そしてダンサブルなものになりました。マイケルはクインシー・ジョーンズと共に、最先端のデジタル技術と伝統的な楽器サウンドを巧みに融合させました。
- シンセサイザーの駆使: ヤマハDX7、ローランドD-50、フェアライトCMI、そして特にシンクラヴィアPSMTといったデジタルシンセサイザーが広範囲に使用されました。これにより、クリアでエッジの効いた、時には複数のシンセをレイヤーした複雑なサウンドスケープが構築されました。「Dirty Diana」のイントロや「Smooth Criminal」の象徴的なベースラインはシンクラヴィアによるものです。
- 進化したドラムサウンド: リン・ドラムやオーバーハイムDMXといったドラムマシンが多用され、シンクラヴィアやAMS RMX16リバーブで加工されることで、力強くタイトなビートが生み出されました。
- マイケルの音へのこだわり: マイケル自身がソングライティングだけでなく、サウンドプロダクションにも深く関与。自宅スタジオでシンクラヴィアを駆使し、自身の低い声域を活かしたボーカルやビートボックスも積極的に取り入れました。クインシー・ジョーンズが生楽器の温もりを重視したのに対し、マイケルはより先鋭的なデジタルサウンドを追求し、時には創造的な対立もあったと伝えられています。
- Sonic Fantasy: 音楽を聴くことで視覚的なイメージを喚起させるため、効果音を巧みに組み込む「Sonic Fantasy」という手法がアルバム全体で使用されました。「Speed Demon」のエンジン音などがその例です。
これらの要素が融合し、『Bad』特有の硬質でありながらもグルーヴィー、そして多彩なジャンルを横断する革新的なサウンドが完成しました。
アートワーク分析

『Bad』のアルバムカバーは、マイケルの新たな「タフガイ」イメージを象徴しています。黒いレザージャケットに身を包み、鋭い眼差しでこちらを見つめる姿は、以前のファンタジックなイメージからの脱却を明確に示しています。当初、よりソフトな写真も検討されましたが、CBSのCEOウォルター・イェトニコフの意向で、より「都会的」でエッジの効いたものが採用されました。アルバムタイトルの「BAD」の文字はグラフィティ風にデザインされ、ストリート感を強調。このビジュアルは、アルバム全体の音楽的方向性とも呼応しています。
よくある質問 (FAQ)
Q1: 『Bad』は『スリラー』を超えることを目指していたのですか?
はい、マイケルは『スリラー』の成功によるプレッシャーの中で、それを超えるという野心的な目標を掲げていました。一説には自宅の鏡に「1億枚売る」と記していたとも言われています。これは商業的成功だけでなく、アーティストとして自身を超克しようとする強い意志の表れでした。
Q2: アルバムタイトル『Bad』の本当の意味は?
ここでの「Bad」は文字通りの「悪い」という意味ではなく、当時のストリートスラングで「最高にクール」「タフ」「イケてる」といった肯定的な意味合いで使われています。マイケルの新たなイメージと音楽性を象徴する言葉です。
Q3: 「Smooth Criminal」の「ゼロ・グラヴィティ」はどうやって実現したのですか?
ショートフィルムではワイヤーとハーネスが使用されましたが、ライブパフォーマンス用には、ステージの床から突き出るペグに引っかかる特殊な靴(特許取得済み)が開発されました。それでも、この動きには強靭な体幹が必要とされます。
Q4: クインシー・ジョーンズとの最後のコラボレーションとなったのはなぜですか?
『Bad』の制作過程で、マイケルは自身の音楽的ビジョンに対する主導権をより強く求めるようになりました。デジタルサウンドを好むマイケルと生楽器を重視するクインシーとの間で創造的な対立が生じたこともあり、これが結果的に最後の共同作業となりましたが、二人の友情は続きました。
Q5: アルバム『Bad』の制作期間はどれくらいですか?
アルバムの制作には約1年以上が費やされました。マイケルとクインシー・ジョーンズは「人間ができる限り完璧に近いもの」を目指したとマイケルは語っています。この期間中、マイケルは自宅スタジオで多くの時間を楽曲制作に費やしました。
Q6: 「Man in the Mirror」はマイケル・ジャクソンが作詞作曲したのですか?
いいえ、「Man in the Mirror」はサイーダ・ギャレットとグレン・バラードによって書かれました。アルバム『Bad』の中でマイケルが作詞作曲に関わっていないのは、この曲とスティーヴィー・ワンダーとのデュエット曲「Just Good Friends」の2曲のみです。
Q7: 「Dirty Diana」は特定の人物について歌っているのですか?
歌詞は執拗なグルーピーについて歌っており、ダイアナ・ロスやダイアナ妃のことではないかと噂されましたが、マイケルやクインシー・ジョーンズはこれを否定しています。ただし、ダイアナ妃自身はこの曲を気に入っていたという逸話があります。
Q8: 『Bad』のショートフィルムで最も制作費が高かったのは?
マーティン・スコセッシが監督した「Bad」のショートフィルムは、当時としては破格の約220万ドルの制作費が投じられたと言われています。これはミュージックビデオの制作スケールを大きく変えるものでした。(情報源により制作費は変動する可能性があります)
トリビア:知られざる『Bad』
制作とパフォーマンスの裏側
- プリンスとのデュエット構想: タイトル曲「Bad」は当初、最大のライバルと目されたプリンスとのデュエット曲として構想されましたが、プリンスは歌詞の一部に難色を示し実現しませんでした。
- エドムンド・ペリー事件: 「Bad」の歌詞は、貧しい地区出身の若者が私立学校に通った後、故郷で昔の友人に殺害されたという実話(エドムンド・ペリー事件)にインスパイアされたと言われています。
- ショートフィルム革命: アルバムからは合計9本ものショートフィルムが制作され、マーティン・スコセッシ(「Bad」監督)のような映画監督も起用。ミュージックビデオの芸術的価値を飛躍的に高めました。
- 作詞作曲への傾倒: アルバム収録11曲中9曲をマイケル自身が作詞・作曲し、クリエイターとしての才能を遺憾なく発揮しました。
- ウェズリー・スナイプスの出世作: 「Bad」のショートフィルムでマイケルのライバル役を演じたのは、当時まだ無名だったウェズリー・スナイプスで、これが彼のブレイクのきっかけの一つとなりました。
- 当初の収録曲数: マイケルは当初、3枚組で30曲以上を収録する壮大なアルバムを構想していましたが、クインシー・ジョーンズの説得により11曲に絞り込まれました。
- 「Speed Demon」とウサギのスパイク: 映画『ムーンウォーカー』内の「Speed Demon」のショートフィルムでは、マイケルがパパラッチから逃れるためにウサギの「スパイク」に変装します。これはウィル・ヴィントンによるクレイメーション技術が駆使されました。
- ホイト・シャーマーホーン駅: 「Bad」の象徴的なダンスシーンは、ニューヨークのブルックリンにあるホイト・シャーマーホーン地下鉄駅で撮影されました。
後世への影響と評価
『Bad』はリリースから数十年を経た今も、ポップミュージックとカルチャーに計り知れない影響を与え続けています。
音楽的影響
ハードでエッジの効いたR&B/ファンク/ロックの融合、デジタルシンセサイザーの積極的な活用は、1980年代後半から90年代のポップス、R&B、特にニュー・ジャック・スウィングの発展に影響を与えました。マイケルの力強いボーカルスタイルや特徴的なボーカルティクス(ヒカップなど)は、多くの後進アーティストに模倣されました。
影響を受けた主なアーティスト
- Usher: ダンスパフォーマンスとボーカルスタイル。
- Justin Timberlake: ポップとR&Bの融合、洗練されたステージング。
- Bruno Mars: ファンク要素の取り入れ、エネルギッシュなパフォーマンス。
- The Weeknd: ダークでシネマティックな世界観、80年代サウンドへのオマージュ。
- Beyoncé: パフォーマンスの完成度、ビジュアル表現へのこだわり。
- BTS: 精密なダンスコレオグラフィー、グローバルな影響力。
ビジュアルとファッション
ショートフィルムはミュージックビデオを芸術形式へと昇華させ、物語性や映像美を追求する流れを作りました。「ゼロ・グラヴィティ」のような革新的なダンスは伝説となり、黒を基調としたレザーやバックルを多用したファッションは当時のトレンドを牽引しました。
『Bad』は当初『スリラー』と比較されることもありましたが、時を経てその独自の芸術的価値と革新性が再評価されています。
アルバム基本情報
アルバムタイトル | Bad |
アーティスト名 | Michael Jackson |
リリース日 | 1987年8月31日 |
ジャンル | ポップ, R&B, ファンク, ロック, ダンス |
レーベル | Epic Records |
プロデューサー | Quincy Jones, Michael Jackson (共同) |
収録曲 (オリジナルLP版 全10曲 + CDボーナストラック1曲) | |
1. Bad | 4:07 |
2. The Way You Make Me Feel | 4:57 |
3. Speed Demon | 4:01 |
4. Liberian Girl | 3:53 |
5. Just Good Friends (with Stevie Wonder) | 4:06 |
6. Another Part of Me | 3:54 |
7. Man in the Mirror | 5:19 |
8. I Just Can’t Stop Loving You (with Siedah Garrett) | 4:11 |
9. Dirty Diana | 4:41 |
10. Smooth Criminal | 4:17 |
11. Leave Me Alone (CD Bonus Track) | 4:40 |
結論:不朽のマスターピース
マイケル・ジャクソンの『Bad』は、単なる大ヒットアルバムに留まらず、ポップミュージックの歴史における転換点を示す作品です。プレッシャーを創造力に変え、自身の芸術的ビジョンを徹底的に追求した結果、音楽、ダンス、ビジュアル表現の全てにおいて新たな基準を打ち立てました。
その革新的なサウンド、深化したテーマ性、そして象徴的なショートフィルム群は、後世のアーティストに計り知れない影響を与え続け、今なお多くの人々にインスピレーションを与えています。『Bad』は、マイケル・ジャクソンが真の「キング・オブ・ポップ」であることを揺るぎなく証明した、時代を超える不朽のマスターピースと言えるでしょう。