高杉晋作が眠る地として知られる、下関市吉田地区。
この歴史情緒あふれる場所に、維新の動乱と悲しい歴史を今に伝えるお寺があります。
その名は「法専寺(ほうせんじ)」。
ここはかつて奇兵隊の駐屯所として使われた由緒ある寺院ですが、境内には「首切六地蔵」と呼ばれる、衝撃的な逸話を持つお地蔵様が鎮座しています。
今回は、幕末の志士たちの息吹と、少し背筋が凍るような歴史ミステリーが同居する「法専寺」の見どころをご紹介します。
⚔️ 「首をはねてこい!」若き隊長の命令と六地蔵
境内に並ぶ六体のお地蔵様。よく見ると、首の部分に継ぎ目があることに気づくはずです。
これには、明治維新の頃の荒々しいエピソードが関係しています。
神国思想と排仏の嵐
当時、近くの松林寺に陣を張っていた「少年隊」の隊長・鳥尾小弥太が、隊員たちにある命令を下しました。
「我が国は神国であるにもかかわらず、仏教が盛んになり石地蔵まで氾濫しているのはけしからん。君たちに勇気があれば、首をはねてこい」
現代に残る傷跡
この命令を受けた隊員たちによって、六体の地蔵の首は切り落とされてしまいました。
現在は、首の中心に鉄棒を打ち込み、セメントでつなぎ合わされて修復されています。
痛々しくも歴史の証人として佇むその姿は、時代の激しさを静かに物語っています。
🚩 奇兵隊の「駐屯所」としての歴史
法専寺は、奇兵隊の陣屋(本拠地)ができるまでの間、駐屯所の一つとして使用されていた歴史があります。
高杉晋作らが活躍した激動の時代、志士たちがこの場所で何を語り合ったのか、想像するだけで歴史ロマンが広がります。
また、山手にある墓地には、小倉戦争で戦死した奇兵隊士8名の墓があり、今も手厚く弔われています。
🙏 秘仏と千人塚。人々の祈りの場所
法専寺の歴史は古く、寛文4年(1664年)に領主・山内広通の室である帰命院が開基となり、寺号を改めて法専寺となりました。
- 秘仏・阿弥陀如来:本尊は長野の善光寺如来を写したものといわれ、20年ごとに御開帳される秘仏です。
- 千人塚(餓死魂の碑):境内には、享保17年(1732年)の大飢饉で亡くなった人々を供養する碑も建てられています。
ℹ️ 基本情報&アクセス
奇兵隊ゆかりの地「東行庵」などとあわせて、吉田エリアの歴史散策におすすめです。
| 項目 | 内容 |
| スポット名 | 法専寺(ほうせんじ) |
| 所在地 | 下関市大字吉田地方吉田五区埴生口 |
| 見どころ | 首切六地蔵、奇兵隊士の墓、千人塚 |
| お問い合わせ | 083-284-0754 |
🚗 アクセス
- 【バス】
- JR「小月駅」からバスで約16分、「宗地」バス停下車、徒歩20分
💖 まとめ
奇兵隊士たちが過ごした駐屯所であり、時代の波に翻弄されたお地蔵様が残る「法専寺」。
ただ静かなだけではない、幕末の熱気と痛みが刻まれた場所です。
下関・吉田へお越しの際は、この歴史の証人たちに会いに行ってみませんか?