源平合戦の悲劇の舞台、壇ノ浦。
そこでわずか8歳にして入水された安徳天皇ですが、実はそのご遺体が流れ着き、源義経によって密かに埋葬されたという伝説が、下関市豊田町の山里に残されているのをご存知でしょうか?
その場所は「安徳天皇 西市御陵墓(にしいちごりょうぼ)」。
宮内庁からも「参考地」として指定されている、知る人ぞ知る歴史ミステリーの地です。
バス停の名前もズバリ「天皇様」。
今回は、静かな山里に眠るもう一つの安徳天皇伝説をご紹介します。
🌊 漁師の網にかかったご遺体。義経の極秘指令
物語は、寿永4年(1185年)3月24日の壇ノ浦の戦いから始まります。
二位の尼に抱かれて海へ消えた安徳天皇。
勝利した源義経は、直ちに天皇と三種の神器の捜索を命じました。
3月28日の発見
長門国中の海人(あま)を動員して捜索した結果、3月28日、沢江浦(現在の長門市三隅)から来ていた海人の網に、天皇のご遺体がかかりました。
(※残念ながら、宝剣は見つかりませんでした)
報告を受けた義経は、人目を避けるため、密かにこの地吉(じよし)の丸尾山にご遺体を埋葬させたと言われています。
赤間神宮(阿弥陀寺)とは異なる、もう一つの埋葬伝説です。
🏛️ 宮内庁も指定。「天皇様」という地名
この伝説を裏付けるかのように、昭和2年(1927年)、この地は宮内省(現・宮内庁)から**「安徳天皇西市陵墓参考地」**として公式に指定されました。
上円下方墳の御陵
丸尾山の南半分を占める御陵は、「上円下方墳(じょうえんかほうふん)」という形式で築かれています。
上円部はやや崩れていますが、ここがただの場所ではないことを静かに物語っています。
最寄りのバス停の名前が**「天皇様(てんのうさま)」**であることも、地元の人々がいかにこの場所を大切に守り伝えてきたかの証と言えるでしょう。
ℹ️ 基本情報&アクセス
豊田湖畔公園などへのドライブの途中に、歴史のミステリーに触れてみませんか?
| 項目 | 内容 |
| スポット名 | 安徳天皇 西市御陵墓(参考地) |
| 所在地 | 下関市豊田町地吉 |
| 指定 | 宮内庁陵墓参考地 |
| お問い合わせ | 083-766-1056(豊田総合支所地域振興課) |
🚗 アクセス
- 【バス】
- JR「小月駅」からバスで約62分、「天皇様」下車、徒歩5分
- JR「長門市駅」からバスで約45分、「天皇様」下車、徒歩5分
- 【車】
- 中国自動車道「小月I.C」から約39分
💖 まとめ
華やかな赤間神宮とは対照的に、山里でひっそりと眠る安徳天皇の伝説。
「天皇様」というバス停に降り立った瞬間、800年前の悲劇と、幼き帝を弔った人々の想いが胸に迫ります。
下関・豊田町を訪れた際は、ぜひこの静寂の聖地に手を合わせに行ってみてください。