下関市彦島、福浦湾を見下ろす兜山(かぶとやま)に、知る人ぞ知る歴史と試練のスポットがあります。
その名は「金比羅本宮(こんぴらほんぐう)」。
ここには、下から見上げると境内が全く見えないほどの「壁のような急勾配」の石段があり、かつては幕末の志士・吉田松陰も訪れたという由緒ある場所です。
今回は、海防の守り神として創建され、歴史のロマンと健脚への挑戦が待つ金比羅本宮をご紹介します。
🧗 角度40度!?空へ続く「270段」の石段
この神社最大の特徴は、鳥居をくぐった先に待ち受ける石段です。
その数、約270段。
しかし、ただ段数が多いだけではありません。なんと傾斜が約40度というものすごい急勾配なのです。
下から見上げると、石段が空に向かって垂直に伸びているようで、その先にあるはずの境内や社殿は全く見えません。
まさに「修行」のような道のりですが、一歩一歩登りきった時の達成感は格別です。
(※足元には十分ご注意ください!)
📜 吉田松陰も登った!『廻浦紀略』に残る記録
実はこの神社、幕末の志士・吉田松陰ゆかりの地でもあります。
嘉永2年(1849年)、藩の命令で北浦・下関一帯の海防調査を行っていた松陰は、7月16日にこの金比羅宮を参拝しました。
北前船の寄付で作られた石段
松陰が残した記録『廻浦紀略(かいほきりゃく)』には、当時の様子が記されています。
当時はまだ石段が完成しておらず、北前船からの寄付金によって少しずつ段数が増やされていたそうです。
松陰が訪れた時は「160余段」あり、「完成すれば200段ばかりにもなろう」と書き残しています。
私たちが今登っている石段は、当時の人々の信仰と寄付の結晶であり、若き日の松陰も踏みしめた歴史の道なのです。
🌊 かつては絶景「富観台」。今は…?
金比羅本宮は、文政2年(1819年)に長府藩主・毛利元義公が、海防と港の繁栄を願って長府からこの地に遷座させました。
境内には「福浦富観台記の碑」があり、かつてここが「富観台」と呼ばれる絶景スポットだったことを伝えています。
当時は頂上から、六連島(むつれじま)や蓋井島(ふたおいじま)、対岸の九州までを一望できたそうですが、現在は樹木が大きく成長し、残念ながらその眺望を見ることはできません。
しかし、鬱蒼と茂る木々の向こうに、かつての侍たちが見た海を想像するのも、また一興かもしれません。
ℹ️ 基本情報&アクセス
歴史ロマンと体力自慢の方におすすめのスポットです。
| 項目 | 内容 |
| スポット名 | 金比羅本宮(こんぴらほんぐう) |
| 所在地 | 下関市彦島福浦本町 |
| 見どころ | 急勾配の石段、吉田松陰ゆかりの地 |
| お問い合わせ | 083-231-4141(下関観光情報センター) |
🚗 アクセス
- 【バス】
- JR「下関駅」からバスで約14分、「福浦本町」バス停下車、徒歩2分
- 【車】
- 中国自動車道「下関I.C」から約14分
💖 まとめ
吉田松陰も仰ぎ見たであろう、壁のような石段。
金比羅本宮は、彦島の歴史と、港の安全を願った人々の想いが積み重なった場所です。
下関観光の際は、動きやすい靴を履いて、この歴史の石段にチャレンジしてみませんか?