源平合戦の最後の舞台として知られる、山口県下関市の「壇ノ浦(だんのうら)」。
ここには、平家滅亡の悲劇を今に伝える、少し切なく、不思議な伝説が残されています。
その名も「平家の一杯水(へいけのいっぱいやる)」。
寿永4年(1185年)、栄華を極めた平家一門が海へと散ったこの場所で、一体何が起きたのか?
今回は、歴史と文学が織りなす物語を辿りながら、赤間神宮や周辺の史跡を巡る歴史散策へとご案内します。
🌊 栄華の夢が散る。壇ノ浦の戦いと安徳天皇
物語の舞台は、平安時代末期の寿永4年(1185年)3月24日。
関門海峡の激流の中で、源平合戦のクライマックス「壇ノ浦の戦い」が繰り広げられました。
平知盛(たいらのとももり)率いる平家軍は、源義経(みなもとのよしつね)率いる源氏軍の猛攻を受け、壮絶な海戦の末に敗北。
敗戦を悟った平家一門は、次々と海へ身を投じていきました。
その中には、わずか8歳という幼さの**安徳天皇(あんとくてんのう)**の姿も。
祖母である二位ノ尼(にいのあま)に抱かれ、「波の下にも都がございます」という言葉と共に、幼い帝は海へと消えていったのです。
💧 伝説「平家の一杯水」とは?
戦いに敗れ、命からがら岸にたどり着いた平家の武将たち。
傷つき、極限の喉の渇きに苦しむ彼らが、波打ち際にわずかな水溜まりを見つけたことから、この伝説は始まります。
一口目は真水、二口目は…?
武将がその水を掬って飲むと、なんとそれは真水でした。
「ああ、ありがたい」と喉を潤し、救われた思いでもう一口飲もうとすると、不思議なことにその水は塩辛い海水に変わっていたといいます。
この不思議な逸話は、水さえも自由に飲ませてもらえなかった平家一門の無念や悲哀を象徴する物語として、「平家の一杯水」の名で今も語り継がれています。
⛩️ 赤間神宮と歴史散策
壇ノ浦の海岸沿いには、この悲劇の歴史を伝える史跡が数多く点在しています。
安徳天皇を祀る「赤間神宮」
竜宮城のような朱色の水天門が美しい「赤間神宮」。
ここには、入水した安徳天皇が祀られており、境内には「七盛塚(ななもりづか)」と呼ばれる平家一門の供養塔も建立されています。
「平家の一杯水」の碑などの史跡とあわせて巡ることで、歴史の重みと文学的なロマンを肌で感じることができるでしょう。
ℹ️ 基本情報&アクセス
| 項目 | 内容 |
| スポット名 | 平家の一杯水(史跡) |
| 所在地 | 山口県下関市前田 |
| 関連スポット | 赤間神宮、壇ノ浦古戦場跡 |
| お問い合わせ | 083-231-1350(下関市観光振興課) |
🚗 アクセス
- 【バス】
- JR「下関駅」からバスで約15分、「前田」バス停下車、徒歩5分
- 【車】
- 下関ICから約20分
- 【徒歩】
- JR「下関駅」から約40分(海沿いの散策におすすめ)
💖 まとめ
わずか一杯の水にさえ拒まれた、平家の武将たちの無念。
そして、海に沈んだ幼き天皇の悲劇。
美しい関門海峡の景色の中に秘められた、日本史に残るドラマチックな物語に思いを馳せながら、下関・壇ノ浦を歩いてみませんか?