豊かな自然に恵まれた北九州市は、かつて公害のまちと呼ばれたことがありました。 日本が戦後の復興に必死になっていた頃、工場の煙突から吐き出される色とりどりの煙は、発展の象徴であり、誇りをもって「七色の煙」と呼ばれました。 そんな時代、発展と引き換えに、健康や生活が脅かされている現実に、北九州市で最初に「NO」と声を上げたのは戸畑の婦人会でした。 子どもの健康を心配した母親たちは、自分たちで大気汚染の実態を調べ、集めたデータをもとに企業と行政に改善を要求しました。 後に、「青空がほしい」運動と呼ばれるこの活動は、北九州市が公害を克服していく大きな第一歩となりました。 青空ときれいな水を取り戻した北九州市の誇るべき歴史のはじまり。