聖書にはイエスさまがいつお生まれになったのか、実はせいかくな年月どころか、どの季節だったのかさえも記していません。
12月においわいするようになったのは、4世紀ごろ(300年代)からだといわれています。
 
それはアジアの西のはしで誕生したキリスト教が、はじめに伝わっていった、ヨーロッパの冬と関係があります。日本よりも北に位置するヨーロッパ各地の、冬の夜は長く、木々はすっかり葉を落とし、また雪に閉ざされます。秋から冬にかけて、太陽のかがやく時間が短くなっていく季節を、大むかしの人々はとてもおそれました。
 
 「このまま太陽の力は弱くなり、なくなってしまうのではないだろうか・・・。」
 
 しかし、冬至の日(12月22日ごろ)をさかいにして、また太陽は少しずつ光をとりもどします。ですから冬至をすぎると、大むかしの人々は、太陽の勝利をドンチャンさわぎのおまつりをしました。クリスマスは、そうした古くからの冬至のおいわいとおまつりとが、とけ合っていったおまつりなのです。
 
 
夜の闇が深く、闇が濃いこと。その暗黒に私たちは、悲しみやこどく、苦悩といったものを連想します。イエスさまは、その最も闇の深い世界にこそ、救いの光をもたらす救い主だという信仰を、冬至という夜の長い季節に重ねて、クリスマスは12月24日の夜からおいわいするようになったのです。イエスさまは、いちおうまよなかの0時ジャストに生まれたということに定められています。
 
だから正式には12月25日がクリスマスなのです。
 

 
人物の起源は4世紀ごろの、現在のトルコの地方で活躍した、ニコラウスという教会の神父さんでした。
 
ニコラウスは、町の様子をいつもながめ、たとえば商売に失敗して、一家がはなればなれになるような悲しみの中にある家族のもとには、こっそりと金貨や金のかたまりなどをとどける心やさしい神父でした。そのころは洗ったくつ下を、夜中のうちに暖炉のそばにかけてほしていたようです。ニコラウスは夜中にこっそりおとずれて、そのくつ下の中にそっと贈りものをとどけました。
 
こう聞いて、ピンとくるところがあるでしょう。またそのころの神父さんは、赤いガウンやマントのようなものをはおっていたようです。それにニコラウスは、いつでもポケットに、子どもたちへの贈りものも欠かさなかったようです。
 
千年以上がたちました…。ニコラウスは『セイント(=聖)ニコラウス』とよばれるようになり、ロシアの教会や、あるいはオランダでクリスマスをむかえる季節に重んじられる守護聖人とされていきました。
 
現在のようなサンタさんのスタイルになっていたのは、アメリカ、ドイツ、北欧といくつかの説があります。そもそもの由来は、プレゼントを贈る聖人と、神さまからの最大のプレゼントであるおさなごイエスさまとが、古くからクリスマスを祝うときにむすびつけられていったのではと、考えられます。
 
こうしてサンタさんは伝説の人となり、今もクリスマスがやってくると、世界中の子どもたちにプレゼントを届けているわけですね。
 

 
1818年のクリスマス・・・。オーストリアのアルプスに近い、雪の深いオーベルンドルフという町の教会でのことでした。
ネズミがオルガンをかじってしまい、音が出なくなってしまったのです。急きょ、その教会のヨゼフ・モールという神父が以前から書いていたキリストたんじょうの情景をうたった詩に、フランツーグルーバーという小学校で音楽を教える先生がメロディーをつけました。ギターでばんそうをして、そのクリスマスの一夜のために、一回だけ歌われる目的で作られたのです。
 
ところがふしぎな出来事がいくつか続いて、その夜だけのものだったはずのがくふが、雪が解けて春になるとふもとの町に伝わり、いい曲だということでだんだんといろんな町で歌われ、人気の曲になっていきました。
 
はじめはチロル民謡として伝わりましたが、あまりに美しい歌にみんなは、
 
「こんなきれいな歌は、きっとハイドンの作曲だ!」
「いや、モーツァルトにちがいない!」
 
と、いろんなことを言い出したのです。
 
そして何十年もたってから、まわりにまわった楽譜が、とうとう本当の作曲者であるグルーバーの目にとまることになりました。
 
「これは、1818年のクリスマスに私が作った曲だよ。なつかしいね・・・。」
 
グルーバーはそういって、いくつかのまちがって伝わっていたおんぷをなおして、正式な楽譜が完成しました。でもそのとき、歌詞を作ったモール神父はすでにこの世の人ではありませんでした。
 
「きよしこの夜」は、今では世界中の人々にもっとも愛されているクリスマス・ソングと言っていいでしょう。
 
でもその最初の誕生といえば、それは静かで小さな出来事でした。
 
どこか、イエスさまのたんじょうの出来事ににていますね・・・。